双子ママ研究者の研究・育児日誌

文系の女性研究者(特別研究員PD)のブログです。 出産して双子の女の子のママになりました♡育児と研究の両立に奮闘するなかで思ったことを書いていきます。

春休みになりました

「夏休みになりました」というタイトルの記事を書いてから、夏休みは目が回るほど忙しい毎日を過ごしました。睡眠時間を犠牲にして研究することはあれど、人間として尊厳を保てるレベルの睡眠時間は確保されていたかと思います。その睡眠時間を確保したがために、「後期の授業準備」や「後期中に依頼されている仕事の準備」が全くできないまま、後期に突入してしまいました。

 

授業経験が乏しい・講義のストックがまったくないため、授業準備が当日のam5:00にできあがる…ということも珍しくありませんでした。おまけにam6:30には家を出ないと間に合わない曜日があり、徹夜明けの一限講義は意識が飛びそうでした。こんな状態で、講義の質が担保されるか毎回毎回不安でした。

 

もちろん講義だけではなく、演習、ゼミ、研究指導、会議や諸々の業務もあります。子どものお迎えがあるため、どんなに仕事が残っていても時間が来たら仕事を切り上げて、やんちゃな子どもたちとの時間を過ごさないといけません。休み時間なんてありません。子どもの寝かしつけをしながら寝落ちしてしまう確率が高いから、目覚ましを複数回セットして深夜に残りの仕事をなんとかこなす…3時4時まで起きるなんて当たり前で、5時になったらさすがに少しは寝ないとなんていう自制心が働いてくる。でも、仕事が終わってないと、90分間の講義の準備ができていないと、寝ることなんてできない。。。土日も例外なく仕事に追われ、深夜に仕事をするのは普通だし、〆切に追い詰められた時は、日中も夫or義両親に子どもの世話を完全に託して仕事しました。これまでは学会発表前は前日には原稿を書き終えて、発表練習を半日はかけて行っていたのですが、今回に関しては、当日の朝に原稿が出来ておらず、現地移動中に完成させ、会場でプリントアウトを依頼するというなんとも迷惑なことも行いました。別の発表の時は、パワポデータを忘れる!なんてこともしました。別の発表の時は、提出したパワポデータのページ並びがめちゃめちゃで、データを受け取った事務の方に「勝手に直して気を悪くされないか」という不安を与えたということを後に聞きました(実際に過去にそういう先生がいたみたいです)。その他にも、私の崩れ加減は、別の人への負荷を生みました。

 

また、土日に子どもと過ごさないことが増えることは、大変な罪悪感をうみました。研究のためのイレギュラーもありますが、学会や入試業務などはそもそも土日です(だから、依頼されたもの以外は学会はすべて欠席することにしました)。子どもたちは、「ママ、仕事多すぎだよ!」と至極当然なクレームを言うようになりました。

 

1週間に最低2日ほどはまともな睡眠?をとって、なんとか体調管理をして、倒れないようにしようと気を張っていました。私が倒れたら、とにかく周りが困る。子どもは義両親に見てもらえるというセイフティーネットがあるように見えるけれど、そもそも週一回は授業の関係で保育園のお迎えに間に合わないため、子どものお迎えや食事の用意でお世話になっています。教授会があるときは、週二回になります。私が倒れたら、義両親の負担がそれに加算されるわけです。義両親はそれらの労働に耐えられるほど若くない。。。週二回の子どもの世話でも、フラフラされています。体調も心配ですし、負担が増えれば必ず歪みが生まれます。そういう調整もしなければ、こういった生活は成立しないのです。

 

年末年始に実家に帰ったときに少し休みたかったのですが、目の前に母がいるのに遊べないなんて、3歳児たちには耐えられないみたいです。普段遊べていない分遊びたいのです。3歳児2名に加え、小学生の姪も遊んでコールを発してくるので、倒れるしかありませんでした。姪も私が大学に勤めてから遊べる時間や私が電話やメールに対応する頻度が極端に減ったため、大変な不満を抱えていて、爆発させたこともありました。それくらいに、大切にしている人たちとの関わりが犠牲になっているのです。それに応えられないことも大変に辛いです。夜は終わっていない仕事をしないといけません。つまり、実は平日よりも休日・祝日の方が体力は奪われていくわけです。

 

そんなこんなで、後期期間中、人生で最も「過労死」という言葉を身近に感じました。何度も何度も「倒れてしまって、入院でもしてしまえば楽になるのに…」と思いました。でも、人間の身体はなかなか丈夫にできているようで、これくらいのことでは幸か不幸か倒れないのです。最大の救いは、夫の心身は猛烈に強く、彼がレジリエンスの象徴のような人間であることでした。そんな彼もインフルエンザには敗北し、私以外家族全員がインフルエンザにかかるという大惨事もありましたが…。

 

そんな後期もやっと終わりを迎えました。まだ試験の採点や博論審査はあるけれど、今週久しぶりに1週間丸々まともな睡眠をとりました。悪夢から解放されたようです。ちなみに、こんな生活を強いられるような状況でも、研究室の先生は、決して私に理不尽な仕事を分配していません。むしろ、仕事を止めてくださっていると思っています。そういう先生が研究室のトップでなければ、私は本当に倒れていたかもしれません。

 

つまり、もうそもそも大学、あるいは研究者業界のシステム的にアウトなのではないか、そういう風に思っています。私の場合、子持ち女性で講義・雑務経験の少ない若手研究者であることが、この負担を増やしていると思いますが、そもそも、そういう立場の人が少ないというのもそれなりの問題を露呈しているし、そういう立場の人が入ると疲弊せざるを得ないのは、やっぱりおかしいと思います。せっかく大学教員になっても、やめてしまう人、やめざるを得なくなる人もいると思います。

 

ちなみに恵まれているのは、こういう状況に陥っても、「あなたが家庭に入らないことがすべての元凶だ」といった発言を受けたことが全くないことだと思います。夫は私の仕事を尊敬してくれており、義両親も応援してくれていて、実家の家族もとても喜んでくれています。夫の友達も、私の仕事が多いという話を聞いて、夫のサポートが必要だと言ってくれていました。少なくとも私の周りの人たちは誰も、私の仕事を「有害」なものとしていないことは、昨今の社会風潮が女性活躍うんぬんを説いているとはいえ、まだまだ幸運なことなのだろうという感じがしています。「身分」があることによって担保された事態であることは否定できないのですが、それでもありがたいことです。

 

来年度は、今年度の後期のような生活はもうしたくない。一番大切なのは、やっぱり子どもや夫との生活。そこにいる人と、そこにいる自分自身のことは守りたいです。